孤男の独り言

キリスト教、仕事の事、過去、現在の事、嫌の思いをした経験を綴っていきます。。

ニコライ堂の降誕祭

ニコライ堂へは、何度か訪れたことがある。
沢山のイコン、それらに捧げられている何本もの蝋燭、立ち上る香のけむりと綺麗な聖歌
聖堂の中は晴れなのに薄暗い。それが反って蝋燭やシャンデリアの光で神秘的な雰囲気を醸し出していた。
何と言ってよいか解からないが、人の手によるものの中では、おそらく最も美しいものだろうと思う。私はカトリックの洗礼は受けているが、カトリックのミサとは正直、雲梯の差だと思う。荘厳司教ミサにも預かったことがあるが、それですら微妙になってしまう。
こんなことを言うと、ある神父様から公会議の精神が解っていないとか言われそうだ。
形式なんてどーでもよい。大事なのは心だとかなんとか・・・
もっともらしい言い方だが、何か嘘があるような気がするのは私だけだろうか?
キリスト教だけに限ったことではないが、形式や儀礼を無視した行為に、果たして心があるのだろうかと疑問に思う。
別に復古主義的に昔のミサに戻せとか、そんな事ではなく、たとえばフォークミサや子供ミサのような恥ずかしいものはやめてほしいだけである。
私はハードロックが好きだ。しかし、だからと言ってそれを典礼でやってほしいとは思わない。(そもそもフォークっていつの時代だよ)そもそも、そんなフォークが聞きたい人が教会に来るだろうか?フォーク聴きたい人はライブハウスでも行くだろう。


ニコライ堂の話から変な方向になっちゃった。あー、何が言いたいのか、自分でもわからなくなってきた。
何か、言いたいこと言っちゃいました。こんなこと書いたら、ある神父様に怒られるかな?


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